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千葉地方裁判所 昭和57年(ワ)208号 判決

原告

平田

外四名

五名訴訟代理人

山田至

園田峯生

被告

早川芳太郎

被告

早川悟司

二名訴訟代理人

森荘太郎

岡部博記

二宮征次郎

主文

一  被告らは各自原告平田に対し金二三万七五〇〇円、原告平田美恵子、原告平田幸雄、原告川名美奈子及び原告星野洋子に対しそれぞれ金五五万二四九四円並びに右の各金員に対する昭和五五年一〇月一四日から各完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決の第一項はいずれも仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告ら主張の請求原因1及び2の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二まず、本件事故の態様等について検討するに、平田洋平が胸部腹部腰部等の打撲による呼吸不全に陥り、昭和五五年一〇月一四日午前九時四〇分収容先の病院において死亡した事実は、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

1  本船は、(船名)第三大芳丸、(種類)汽船、(船質)鋼、(機関)ディーゼル機関、(出力)七〇〇馬力、(総トン数)250.89トン、(全長)35.29メートル、(全幅)8.20メートルの船舶で、砂利運搬船として使用されていた。

本船の船橋、居住区及び機関室は、いずれも船尾部に配置され、船体の中央部に14.04メートル、横6.20メートル、深さ約3.5メートルの船倉一個が配置されていた。

船倉の前部の上甲板上に荷役用のクレーン一基が設置され、その前部に船首楼があつて、船首楼は、上甲板より一段高くなつていた。

また、船首楼にはウインドラス一基とロープ巻きドラム二台が設置されていた。

2  クレーンは、訴外鈴江重機株式会社製造のSE一二〇LG型全旋回式ジプクレーンであり、砂利運搬船用として、グラブバケットの作業を重点に設計されたものであつた。

クレーンハウスの縦の長さは4.54メートルであり、後端の高さは1.83メートルであつて、後部(船首側)の旋回半径は3.41メートルであつた。

クレーンの運転室は、クレーンハウスの右側前端にあり、その後方及び左側が壁面・装置等でさえぎられていたので、クレーンの運転席からは、前方(船尾側)及び右側方(左舷側)は良く見通すことができたものの、後方(船首側)及び左側方(右舷側)は全く見えない状態になつていた。

また、船倉のハッチコーミングの高さは、左右両舷及び船尾側のものは、いずれも上甲板上約1.5メートルであつたが、船首側のものは、クレーンハウスの旋回範囲内にあつた関係から、上甲板上約0.80メートルになつていた。

3  クレーンハウスが右方向に九〇度回転した場合、クレーンハウスと右舷側ブルワークとの間隔は約七〇センチメートルとなり、クレーンハウスと右舷側ダビットとの間隔は約四五センチメートルとなつた。

本船の船首部上甲板上には、クレーンハウスの旋回範囲が円孤状に赤色のペイントで画かれていたほか、クレーンハウス後部の左右両隅及びハッチコーミングの船首側左右両隅には、トラマーク(黄色と黒色のしま模様)が施されていた。

4  本船は、昭和五五年一〇月一三日午後零時ころ、石材約四〇〇トンを積載し、船首2.50メートル船尾3.80メートルの喫水で、千葉港に向け、神奈川県真鶴港を発航したが、乗組員は、次の五名であつた。

(一)  船長被告早川悟司(昭和二五年四月一五日生)、昭和五三年六月七日雇入(勝山港)

(二)  一等航海士平田洋平(大正一三年一月三日生)、昭和五四年九月二日雇入

(三)  機関長早川三喜男(昭和二八年二月一日生)、昭和五一年一〇月九日雇入(千倉港)、昭和五〇年八月クレーン則六七条一項の規定による特別教育修了

(四)  一等機関士本田勝太郎

(五)  次席一等機関士小早川政志(昭和一四年二月七日生)、昭和五三年八月一日雇入(勝山港)、甲板員、昭和五五年一〇月一二日から次席一等機関士(勝山港)

5  本船は、昭和五五年一〇月一三日午後四時ころ千葉県鋸南町岩井袋港に仮泊し、乗組員は、全員がそれぞれ自宅に帰つて休養した後、同月一四日午前四時ころ本船に戻り、本船は、そのころ岩井袋港を発航して、同日午前七時五〇分ころ千葉港第二区生浜岩壁の埋立工事現場に到着し、左舷側を岩壁から一〇メートルくらい離すようにして、右舷側の船首部と船尾部から沖合に錨を投入し、左舷側の船首部と船尾部から岩壁に係船ロープをとつて、船首を西方に向け、係留された。

本船からの投石作業は、同日午前八時一〇分ころから開始されたが、作業開始時における乗組員の配置等は、次のとおりであつた。

(一)  被告悟司は、船尾部の船橋にあつて、投石作業の全般を監視していた。

(二)  早川三喜男は、クレーンハウスの運転室にあつて、クレーンの操作を担当していた。

(三)  平田洋平及び小早川政志は、船首楼にあつて、船体を移動させる際、錨鎖及び係船ロープの巻き込みや繰り出しを行うために待機していた。

(四)  本田勝太郎は、船尾部にあつて、(三)と同じように、錨鎖及び係船ロープの巻き込みや繰り出しを行うために待機していた。

(五)  洋平は、当時グレーの作業服上下を着て、救命胴衣を着用し、ヘルメットをかぶり、ゴム長靴を覆いていた。

6  本船に積載された石材の投石作業は、まず、クレームのバケットで二トンぐらいの石材を船倉から持ち上げ、そのクレーンを右方向すなわち左舷方に旋回させて、ブームを舷外に振り出し、次いで、工事担当者の指示に従い、本船と岩壁との間の海中の指定場所に、バケットから石材を落下させるという段取りになつていた。

また、投石場所の変更に伴つて、本船の船体を移動させることが必要であつたが、その際には平田洋平及び小早川政志が船首楼において、被告悟司及び本田勝田ママ郎が船尾部において、それぞれ錨鎖及び係船ロープの巻き込みや繰り出しを行うことになつていた。

本船の投石作業は、約二時間で完了する予定になつていた。

当時の天候はくもりで、秒速二メートルの北北西の風が吹いていたが、本船の船体が風やうねりのために揺れるようなことはなかつた。

7  早川三喜男は、昭和五五年一〇月一四日午前八時一〇分ころ、船橋にあつた被告悟司からの合図を見て、クリーンの操作に取り掛かり、前記の段取りに従つて投石作業を開始した。

クレーンは、駆動用ディーゼル機関(一五二馬力)によつて運転されていたが、エンジンは、作業中定格の回転数で使用されることになつていた上、振動を伴つていたので、クレーンの操作中は、クレーンの運転室内はもちろん、その周囲においても、騒音が著しかつた。

平田洋平は、投石作業の開始時、小早川政志とともに船首楼において待機していたが、その後間もなく船首楼を離れ、船首部上甲板に下りて、船尾部の方向に歩行した。

小早川は、投石作業の開始後、左舷側の海中で作業をしていたダイバーの行動を注視しながら、ダイバーからの合図を待つていたので、洋平が船首楼を離れたことに気付かなかつた。

小早川は、暫くして、洋平が船首楼から居なくなつたことに気付いたが、直ぐに戻つてくるものと考え、そのまま待機していた。しかし、洋平が五分くらい経つても、戻つてこなかつたので、小早川は、不審に思い、船首楼から船首部上甲板に下りて、右舷側に行き、クレーンハウスの右舷側を見たところ、洋平が船首部上甲板の右舷船尾側に、頭部を船倉の階段付近に置き、仰向けになつて倒れていたのを発見した。小早川は、直ちに洋平のもとに近寄り、声を掛けてみたが、何の返事もなく、更に、洋平の身体を揺り動かしてみたものの、何の反応もなかつた。

そのため、小早川は、事故が発生したことを知り、直ちにクレーンの運転室に行つて、早川三喜男にクレーンの操作を停止させた上、船橋に行つて、被告悟司に、事故が発生したことを報告した。

8  被告悟司は、同日午前八時三〇分ころ、小早川政志から事故発生の報告を受け、直ちに船首部上甲板に下りて平田洋平の様態を見たが、洋平が意識不明の状態に陥つていたので、直ちに船舶電話をもつて千葉海上保安部等にその旨を連絡した。

洋平は、その後救急車によつて千葉市南町一丁目所在の川崎製鉄健康保険組合千葉病院に収容され、治療を受けたが、同日午前九時四〇分同病院において、胸腹部及び腰部にかけての打撲による呼吸不全により死亡した。

9  本件事故の際、クレーンハウスの後部(船首側)端左側下方部分に長さ一〇二センチメートル、最大高さ四四センチメートル、最小高さ二四センチメートルの擦過痕が生じ、クレーンハウスの後部下方の左側部分に長さ一〇二センチメートル、幅四五センチメートルの擦過痕が生じた。

また、平田洋平が倒れていた船首部上甲板右舷船尾側付近にあつたハッチコーミング右舷側船首端付近及びその階段付近の上甲板上に洋平の血痕が付着していた。

したがつて、以上に認定した事実に照らせば、平田洋平は、昭和五五年一〇月一四日午前八時一〇分すぎころから午前八時三〇分ころまでの間に、本船の船首楼から船首部上甲板に下りて、船尾部の方に向かつた際、上甲板右舷側のクレーンハウスの旋回範囲内に立ち入つたため、旋回してきたクレーンハウスの後部(船首側)左側部分と右舷側ハッチコーミングの船首端との間に、腹部・腰部等を狭まれて打撲を受け、かつ、胸部にも打撲を受けて、同日午前九時四〇分右の打撲による呼吸不全により死亡するに至つたものと推定するのが相当である。

三次に、被告らの責任原因の存否について考察する。

1 本船が砂利運搬船として使用されていた船舶であり、船橋が船尾部に、船倉が中央部に、クレーンが船倉の前部にそれぞれ配置され、船首楼が上甲板より一段高くなつていたことは、前記二の1に認定したとおりであり、クレーン、クレーンハウス及びクレーン運転室の各構造等、クレーンの運転席からの見通し状況、ハッチコーミングの高さ等は、前記二の2に認定したとおりである。

したがつて、クレーンの運転席からは、後方(船首側)及び左側方(右舷側)が全く見えない状況になつていたのであるから、クレーンの操作による投石作業が行われている時に、クレーンハウスの後方及び左側方の旋回範囲内に立ち入ることは、極めて危険なことであつた。

そのため、被告早川悟司は、前記二の3に認定したとおり、船首部上甲板上にクレーンハウスの旋回範囲を赤色ペイントで標示し、かつ、クレーンハウス後部の左右両隅及びハッチコーミングの船首側左右両隅にトラマークを施して、乗組員に注意を喚起していたばかりでなく、〈証拠〉によれば、被告悟司は、日ごろ乗組員に対し、「クレーンの操作による投石作業をしている時には、持場を離れるな。やたらとクレーンハウスのそばに近付くな。」と口頭で注意していた事実を認めることができる。

2 他方、本船の乗組員は、前記二の4に認定したとおりであつて、〈証拠〉によれば、本船の乗組員は、すべてクレーンの操作による投石作業中に、クレーンハウスの旋回範囲に立ち入ることが危険であることを良く知つていた事実を認めることができる。

殊に、平田洋平は、昭和五四年九月から本船に一等航海士として乗船していた者であり、かつ、〈証拠〉によれば、洋平は、その二〇年くらい前から、本船と同じような荷役用の全旋回式ジプクレーンを設置した砂利運搬船に乗船していた者であつて、経験の豊富な乗組員であつた事実を認めることができる。

3 本船からのクレーンの操作による投石作業が開始された時の乗組員五名の配置等は、前記二の5に認定したとおりであつて、平田洋平は、その時小早川政志とともに船首楼で待機していた。この点について、原告らは、洋平が投石作業の開始前に右舷側のハッチコーミング付近に立ち入つたものと推測されると主張するのであるが、右のように推測すべきであるとするに足りる証拠は存在しない。

また、〈証拠〉によれば、クレーンを操作していた早川三喜男は、昭和五一年一〇月に本船に乗船して以来、クレーンの操作に従事していた者であつて、クレーンの操作に習熟し、本件事故発生の日も、クレーンハウスの周囲に他の乗組員が居ないことを確認した後に、クレーンの運転室に入り、被告悟司からの合図を確認して、クレーンの操作を開始した事実を認めることができる。

したがつて、洋平が、投石作業の終了時まで、所定のとおり船首楼において、錨鎖及び係船ロープの巻き込みや繰り出しを行うために待機し、その持場を離れなかつたとすれば、洋平がクレーンハウスに接触するようなことは起こらなかつたのであり、本件事故も発生しなかつたものである。

4 ところで、前記二の7に認定したとおり、平田洋平は、投石作業の開始後間もなく、船首楼を離れて、船首部上甲板に下り、船尾部の方に歩行したのであるが、洋平がどのような意図をもつてそのような行為をしたのかは、これを推測するに足りる証拠もない。

しかし、〈証拠〉によれば、投石作業が行われている最中でも、クレーンハウスは常時旋回運動を続けているわけでなく、バケットで石材を船倉から持ち上げる時、石材を投下する場所の指示を受けるために待つている時、バケットから石材を投下している時などには、クレーンハウスの旋回運動が一時停止する事実を認めることができるところ、洋平は、そのようなクレーンハウスの旋回状況を見極めながら、船首部上甲板の右舷端を通り抜け、右舷側ハッチコーミング付近まで歩いて行つたものと推測することができる。現に、船首楼に待機していた小早川政志と、投石作業が行われている最中に、船首部上甲板に下りて右舷側に行き、クレーンハウスの右舷側を通過して、倒れていた洋平のもとに近付いた上、その場から引き返したのである。

そして、〈証拠〉によれば、クレーンの操作による投石作業が行われている最中に、乗組員が、クレーンハウスのそばを通り抜けて、船首部から船尾部に行つた例がたまにあつた事実を認めることができる。

5 そこで、被告早川悟司は、本船の船長であつたのであるから、クレーンの操作による投石作業を実施するに当たつては、前記のようなクレーンハウスの旋回運動による危険性などを考慮に入れて、乗組員の生命身体等に危害が及ぶことのないように配慮し、その安全性を確保するための措置を講ずべき義務があつたものというべきであるところ、被告悟司は、前記のとおり、右の危険性を考慮に入れて、船首部上甲板上にクレーンハウスの旋回範囲を赤色ペイントで標示し、クレーンハウスの後部左右両隅及びハッチコーミングの船首側左右両隅にトラマークを施して、乗組員の注意を喚起したばかりでなく、日ごろ乗組員に対し、投石作業中は持場を離れず、クレーンハウスのそばに近付かないようにと口頭で注意していたのであつて、前記二の5に認定したとおり、被告悟司は、投石作業を開始するに当たつて、船橋に上がり、投石作業の全般を監視していたのである。そして、〈証拠〉によれば、被告悟司は、その後も船橋にあつて、本件事故発生の報告を受けるまで、投石作業の進捗状況を見守るとともに、工事責任者と作業の打合わせをしていた事実を認めることができる。

6  ところで、原告らは、(一)、まず、クレーンの運転室の構造を、左側方の見通しが良くなるように改造すべきであつたと主張するのであるが、クレーン全体の構造から見て、そのように指摘することが妥当であるかどうか疑問があり、(二)、次に、囲いや覆いを設置すべきであつたと主張するのであるが、その主張に具体性が欠けるので、その当否を判断するに由ないものであり、(三)、次いで、監視員を立たせるべきであつたと主張する点については、例えば、船首楼の待機者二名について見れば、相互に連絡を取り合うことによつてまかなうことができたものであつて、各部署に就いていた乗組員のほかに、殊更に監視員を立たせる必要があつたものとは考えられない。

そして、前記二の7に認定したとおり、被告悟司は、投石作業を開始するに当たつて、船橋からクレーン運転士の早川三喜男に合図を送っていたのであつて、クレーンの操作が開始されれば、エンジンの騒音によつて、乗組員は、すべてクレーンが作動中であることを容易に知ることができたのである。

7 しかし、〈証拠〉によれば、被告早川悟司は、投石作業中、各部署に就いていた乗組員四名をすべて見渡すことのできる位置にあつたのであるが、「乗組員は、すべてクレーンハウスの旋回範囲が極めて危険な区域であることを知つているはずであるし、その旋回範囲を標示した上、トラマーク等も施し、かつ、日ごろから口頭で注意していたので、乗組員が、クレーンの操作中に、あえてクレーンハウスの旋回範囲に立ち入るようなことは、あるはずがない。」と考え、投石作業の進捗状況を監視するため、工事担当者の動静ばかりに気を取られて、船首楼に待機していた平田洋平らの動静には監視の目を向けず、小早川政志も、同じように考えて、洋平の動静に注意を払うようなことはなかつた事実を認めることができる。

この点について考えるに、クレーンの操作による投石作業が行われる際には、常にクレーンハウスの旋回運動による危険性が生じていたのであり、しかも、二時間に及ぶ作業時間中には、乗組員が折を見て持場を離れることもあり得たのであるから、被告悟司としては、船橋にあつて投石作業の進捗状況を仔細に監視するとともに、乗組員の安全を図るため各乗組員の動静にも注意を払い、乗組員が持場を離れて危険な行為に出ようとしたときには、すみやかにこれを見付けて、その行為を阻止するか、又は他の安全な策を執るかして、事故の発生を未然に防止するための措置を講ずべき義務があつたものというべきである。

ところが、被告悟司は、乗組員が投石作業中にあえてクレーンハウスの旋回範囲に立ち入るようなことはあるまいと考えて、洋平の動静には監視の目を向けていなかつたのであり、また、〈証拠〉によれば、本船には、クレーンハウスの旋回範囲に立ち入ることを禁止するためのロープを張り巡らせる設備が整えられていたが、被告悟司は、右と同じ理由から、乗組員を目当てにロープを張り巡らせる必要はないものと考え、ロープを使用していなかつた事実を認めることができる。

したがつて、被告悟司が、前記のように乗組員が投石作業中にクレーンハウスの旋回範囲に立ち入ることはあるまいと認識していたことは、少しばかり安易であつたものと見るのが相当であるから、被告悟司が、右のような認識を前提として、洋平の動静に注意を払わなかつたことは、被告悟司に課せられていた義務を怠つたことになるものと見るのが相当である。

そして、被告悟司が、洋平の動静に注意を払つていたとすれば、本件事故の発生を防止することができたものと見るのが相当であるから、被告悟司には、本件事故の発生について過失があつたものと認めるべきこととなる。

8 してみれば、被告早川悟司は、民法七〇九条の規定により、被告早川芳太郎は、本船の所有者として、商法六九〇条の規定により、連帯して本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

四しかし、前記二及び三に認定し、説示したところに照らせば、平田洋平が、本船からの投石作業が開始された後、そのまま船首楼にあつて持場を離れず、船首楼に待機していたとすれば、本件事故は発生しなかつたものということができるのであり、また、洋平が、船首楼の持場を離れて、船首部上甲板に下りようとした際に、同じく船首楼に待機していた小早川政志に対し、その旨を告げていたとすれば、本件事故の発生を防止する措置が講じられて、本件事故の発生を避けることができたかも知れないのである。

それなのに、洋平は、一等航海士という立場にありながら、投石作業が行われていたのに、誰にも告げないで、持場を離れた上、旋回運動を続けていたクレーンハウスの施回範囲に立ち入り、そのためクレーンハウスとハッチコーミングとの間に身体を狭まれて、死亡するに至つたのであるから、洋平には、本件事故の発生について大きな過失があつたものと認めるべきであり、その過失の程度は、被告早川悟司の前記過失の程度と対比して、七割五分に及ぶものと認めるのが相当である。

五そこで、平田洋平に生じた損害について考察する。

1  過失利益

洋平の昭和五四年九月から昭和五五年三月までの収入(基本給・手当)が合計一二九万八〇〇〇円であり、その平均月額が一八万五四二九円であつて、これによる年間収入が二二二万五一四八円となることは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、洋平は、真面目で、几帳面であり、思いやりがあつて、酒も余り飲まなかつた事実を認めることができるから、洋平の生活費としては、三割を控除するのが相当であり、また、洋平の稼働年数はあと一一年と見るのが相当であるから、年収純益一五五万七六〇四円に新ホフマン係数8.590を乗ずると、洋平の逸失利益は一三三七万九八一八円となる。

洋平の前記過失を考慮し、右の額から七割五分を差し引くと、残額は三三四万四九五四円となる。

2  葬儀費用

〈証拠〉によれば、洋平の葬儀費用としては、原告ら主張のとおり合計二七六万〇〇一八円を要した事実を認めることができるけれども、本件事故との間に相当因果関係があるものとしては、一二〇万円の限度において認めるのが相当である。

洋平の前記過失を考慮し、右の額から七割五分を差し引くと、残額は三〇万円となる。

3  慰謝料

〈証拠〉によれば、洋平は、妻の原告平田と仲睦まじく暮らしていたので、原告は、本件事故により著しい精神的打撃を受けたこと、原告平田幸雄は、昭和五〇年一一月原告平田美恵子と婚姻し、洋平夫婦と養子縁組を結んでいたことを認めることができ、これに本件事故の態様、洋平の過失の程度並びに原告の財産上の損害が後記六の2に説示したように船員保険の給付によりすべて填補されることになることなどを総合すると、洋平の慰謝料としては、一五〇〇万円から七割五分に当たる額を差し引いた残りの三八二万五〇〇〇円の限度において認容するのが相当である。

原告らは、洋平の慰謝料として一八〇〇万円の請求が認められないときは、個別的に総額一八〇〇万円の慰謝料を請求するというのであるが、原告らの右の請求は、洋平の慰謝料として前記限度において認容するほかないことに照らし、いずれも失当なものというほかない。

4  そして、原告らは、法定相続分に従つて、洋平の損害賠償請求権を相続したということができるから、これによれば、原告の取得分は、三七三万四九七七円(このうち慰謝料分は一九一万二五〇〇円である。)となり、その余の原告らの取得分は、それぞれ九三万三七四四円となる。

六ところで、原告らの取得した損害賠償請求権は、いずれも次のとおり一部ずつ填補されて、その分だけ消滅した。

1  被告らが原告らに対し三五〇万円を支払つた事実は、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨に照らせば、右のうち三四五万円は、損害賠償の一部として充当されるべきものと認めるのが相当である。

原告らは、これを相続分に従つて分割し、それぞれの損害の弁済に充当したものと認めるのが相当である。これによれば、原告の弁済充当分は、一七二万五〇〇〇円となり、その余の原告らの弁済充当分は、それぞれ四三万一二五〇円となる。ただし、原告については、後記2の弁済充当との兼合いから、慰謝料分の損害について充当されたものと認めるのが相当である。

2  原告が船員保険から葬祭費として二六万八〇〇〇円、遺族年金として四九七万二二三二円の合計五二四万〇二三二円の支払を受けた事実は、当事者間に争いがない。

これは、船員保険としての性質上、遺族である原告の財産上の損害の賠償請求権の填補としてのみ充当されるべきものであるから、これをその弁済に充当すると、原告の取得した逸失利益及び葬儀費用の損害賠償請求権は、すべて弁済により消滅したことになる。

3  してみれば、原告の損害賠償請求権の残額は、一八万七五〇〇円となり、その余の原告らの残額は、それぞれ五〇万二四九四円となる。

七弁論の全趣旨によれば、被告らが、原告らに対し任意に損害の賠償に応じなかつたので、原告らは、訴訟を提起することとして、弁護士山田至及び弁護士園田峯生に対し、訴訟の提起と遂行を委任し、所定の報酬等を支払うことを約定したものと認めることができる。

しかし、原告らの認容額その他諸般の事情を考慮すれば、被告らに負担を命ずるべき弁護士費用としては、原告らにつきそれぞれ五万円(合計二五万円)の限度において認容するのが相当である。

八そうすると、原告らの請求は、被告ら各自に対し、原告平田において二三万七五〇〇円、その余の原告らにおいてそれぞれ五五万二四九四円及び右の各金員に対する不法行為の日の昭和五五年一〇月一四日から各完済に至るまで民法所定の各年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、いずれも正当であるから、これを認容すべきであるが、その余はいずれも失当であるから、これを棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(加藤一隆)

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